10 同級生


梅雨のこの時期に晴天が見られるなんて本当に珍しいことで、芽吹は近くのコンビニまで新しい自転車を飛ばした。
なくても学校には歩いて通える距離ではあったが、この間みたいに突然省助から呼び出しがあると困る。
ちょっとそこまで、という距離ならば自転車に限る。これが高校生にとって最高の交通手段なのだ。
夜空には星たちがきらめいて、暗い道を照らしていた。夏になれば赤いちょうちんで明るくなる芽吹川沿いも、今はまだそれはない。
コンビニの前に自転車を停めて中に入ると、雑誌の前で茶髪の青年が立っていた。
手には雑誌。テレビ情報誌のようなものを念入りにチェックしている。新聞を見ればいいのに、と思ったが一人暮らしをしていると聞いたことを思い出す。
省助もそうだが、一人暮らしの安月給で新聞なんて取るわけがない。しかも船頭だなんて、収入が不安定な仕事なのだ。

「あ」

芽吹を見つけた禅が、かすかに視線を起こした。
顔を覚えてくれていたようで、芽吹は安心して禅に近寄った。自分は省助から話を聞いているからよく知っているつもりでいたが、相手はどうかわからない。

「芽吹サン!」

茶髪の前髪を邪魔そうに払って、禅が歯を見せて笑った。つられて芽吹も笑ってしまった。
初めて会ったときもそうだったが、禅は物怖じしない明るい性格のようだ。 省助のことで電話をしてきたときも、いや、してきたのは省助本人なのだが、ちゃんと話したことのない相手だというのに何故だか安心して省助を任せようと思った。
そのことでお礼を言わなくては、と思っていた芽吹だったので、切り出そうと口を開くと、

「「この間は」」

と、二人同時に言いかけて目が合った。
同じことを考えていたようで、可笑しくなって芽吹はまた笑ってしまった。

「えっとー、この間は俺、飲ませ過ぎちゃったみたいですいません」

「そんなの禅くんのせいじゃないって。それに、俺に謝らなくてもいいよ」

頭をかきながら、少し俯きがちに切り出した禅に、芽吹は言った。
省助が自分たちのことをどう話しているのかは知らなかったが、そんな風に謝られるとこそばゆい。男同士なんて、公認というわけでもないのだから。
そんな芽吹の気持ちを読み取ってか、禅が胸を張って答える。

「いや、芽吹サンには言わなきゃ駄目っす。物事には優先順位ってものがありますからっ」

いやに説得力のある、大きな声で言われた。雑誌を掴む手に、力が入っている。

「そんな、なんかやくざみたいな・・・」

「えっ」

意外なほどの動揺。禅がそれを見せ、なんで、いや、そんなことないッス、とはっきりしない言葉で答える。
まるで本当にやくざだったかのような、それを隠していたのに、という類の動揺だ。
何も言わない芽吹の前で、禅は平静を取り戻そうと必死であがき、それがかえって疑わしいことに気付きもしない。
芽吹は可笑しくなって、禅の様子に笑ってしまう。

「う」

禅が言葉に詰まる。
それを、優しく宥めた。

「いいよ、詮索はしないから」

それに、省助や弥次郎師匠がそばに置いている。それくらいには信用のできる人間だと、芽吹もわかる。
過去を聞かない代わりに、別のことを聞くことにした。

「でも、どうして、船頭に?」

えーと、と茶色い髪を書き上げて、照れくさそうに話し出す。
俺、見たまんまの半端ヤローで、と、そんな風に、禅は自分のことを言う。そんなことないのに、と思ったけれど、口は挟まなかった。
禅がそう思っていたのなら、そうだったのかもしれない。
芽吹は突然現われたこの船頭見習いの青年のことを、よく知らない。

「でも働かなきゃなぁ、なんてこの川見ながらぼんやり思ってたんです。そしたら下にね、省助さん、見つけて」

禅が、歯を見せて笑った。
ぱたぱたと、雑誌を振ったり回したりしながら、身振り手振りでそのときのことを再現しようとしていた。

「俺、川下りって見たことなくて、そんなもんくらいって思ってたけど、いや、むしろ年寄りがするもんだと思ってて」

それは、ちょっと、当たらずとも遠からずではあるが、偏見である。

「でも弥次郎師匠にも負けずにやってる省助さんの姿見て、すげーカッコいいなって思ったんスよね。なんか、プロって感じで。惚れちゃったんスよ」

熱く語った、その手の中で雑誌がくしゃくしゃになっている。
禅が、そんな風に省助を慕ってくれるのが、嬉しかった。
そんな風に思って、省助もこの道を選んだはずだ。そう思われるようになれて、嬉しいに違いない。

「あ、惚れたって、そーいうイミじゃあなくてですね・・・」

誤解をされまいと、大げさに禅は手を振ったけれど、芽吹はそれを誤解だとは思わなかった。

「いいよ、禅くん、省ちゃんを好きでしょ。俺、妬けたよ少し」

「えぇっ!?」

芽吹の言葉に、再び慌てる。芽吹と話すと禅は慌ててばかりだ。自分の隈なく尊敬する師匠の大事な人だと変な気を使っているのかもしれない。

「いや、あの、俺はそーいうんじゃなくて・・・」

うん。わかってる。でも、ホントは同じ。
同じ男の背中に、惚れた同じ人間。
あーあ、と芽吹は胸の中に大きな溜息を落とした。
知っていたけど。
どんなに魅力のある人間で、いろんな人を惹きつけてしまうのか、いちばん近くにいる自分が、いちばん知っていたけど。
禅と仲良くなれると言ったその大きさが、その魅力で。

「ね、禅くん、俺たち同級生だって知ってた?」

省助が、前に同い年だと言った。
随分違った環境で生活しているふたりだけれど、これって実はきっかけなのかも知れない。

「敬語、今度使ったら罰金ね」

省助の、力。
う、と禅が躊躇った。けれども、それからゆっくりと、緊張の解けた顔で、「いいよ」と、笑った。

<了>

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