07 体格差


芽吹川沿いの歩道が舗装されたのは菜名が中学に入った頃だっただろうか。それまで車道と歩道の狭い間を自転車で走っていたのだが、舗装されて歩道も広くなり、自転車も通れるようになった。
学校に行くときは車通りが多いので、住宅街の抜け道を利用するが、帰りはこの道を通る。春先の芽吹川沿いは本当に綺麗だった。
帰りがけに本屋に寄ったので、下校中の高校生はほとんどいなくなった。すいすいと歩道を駆け抜けていた菜名だったのだが、役場の横を通る大通りとぶつかる交差点を越えたところで速度を緩めた。

「芽吹ちゃん?」

見覚えのある、同じ高校の制服の背中に声をかけると、良く見知った幼なじみが振り返った。

「なんで歩いてるの?」

自転車通学である菜名の近所に住んでいる芽吹であるから、勿論自転車通学なわけである。菜名も芽吹が自転車で学校へ通っていたことは知っている。

「この間盗られちゃって・・・今ないんだよね」

困った、というような笑顔を見せて、芽吹は菜名に言った。芽吹の歩調に合わせながらとろとろと自転車をこいで、菜名はその隣を保っていた。
そういえば最近、芽吹の自転車姿を見ていない気がする。

「芽吹ちゃん家に帰るんだよね?」

「うん、そうだよ」

じゃあ、と言って菜名はブレーキをかける。キキ、と高音が響いて、芽吹も足を止めた。

「乗せてってあげるよ、うしろ」

荷台をぽんぽんと叩くと、芽吹が変な顔をして菜名を見つめ返してきた。おや、と思うと、すたすたと菜名に近付いて、右手で頭にチョップを喰らわされる。
それから、ほんの少し頬を赤らめて、芽吹がらしくなく説教口調になった。

「あのね、女の子の後ろにどこの男が乗るっての? 逆でしょ、普通」

呆れて息をついてから、芽吹は背負っていたリュックを菜名に渡す。きょとんとしてそれを受け取ると、芽吹は、「俺がこぐから菜名は後ろ」と、ハンドルをぶん取った。
幼なじみとはいえ、そんな男らしさを芽吹に求めていなかった菜名はなんだかおかしくて、自転車を降りると吹き出してしまった。
それになに笑ってんの、と怒られて、いそいそと芽吹のリュックを背負って荷台に足をかける。肩を掴んで勢いよく体を持ち上げると、随分と高い視線になった。

「行くよ」

ペダルに足をかけた芽吹が、グンと踏み込んで風が吹く。膝上十センチのチェックのスカートが風になびいていたが、芽吹のリュックがお尻を隠してくれたので気にしなかった。
芽吹川沿いに、緩やかな上り坂。これを越えたら、真っ直ぐに下るだけ。二人乗りしてたらスピードが落ちそうな坂も、芽吹はなんの苦もなく上り過ぎて行った。

「芽吹ちゃん、体力あるんだねー」

坂を下る車輪の軽快な音に掻き消されないような大きさを出して菜名が言う。

「女の子に比べたらそりゃあるよ」

芽吹の案外に厚い肩を両手でしっかりと掴んで、菜名はうーん、と唸った。
小さい頃は双子の兄の桃を含めた三人の中でいちばん元気だったのが菜名で、そのお転婆ぶりは近所の評判になるほどだったのに。いつの間にか形勢逆転。
手の大きさも身長も、体力も全然かなわなくなって、菜名は男女の体格差を感じた。
そればかりではなく、昔ほどなんでも話さなくなったことも感じていた。学年が上がるに連れて二人には男の友達が増えて、菜名とはあまり一緒にいなくなった。
勿論菜名は菜名で女の友達が増えて、それぞれに遊ぶようにはなったのだが、それでも三人で会うとほんの少しだけ疎外感を覚えた。
特に最近の桃は、自分の話なんてちっともしてくれなくなった。

「ねぇ、芽吹ちゃん」

「んー?」

「最近の桃ちゃん、冷たくなぁい?」

「んー」

イエスともノーともとれないような曖昧な発音で、芽吹は唸った。考えているのだろうか。

「桃もいろいろ考えてるんじゃないのかな。受験するだろ、あいつ」

ひとりだけ、理系進学クラスに進んでしまった桃を、菜名は当たり前のように思っていた。頭が良くて何でも出来る桃。きっといっぱい勉強していい仕事に就くのだろうなぁ、とおぼろげではあるが思っていたのだ。
その桃が悩んでいるなんて、想像がつかない。なんでもひとりでさっさと決めてしまう兄なのだ。

「やっぱり、出てっちゃうのかな」

大学に行くならば、この町を出て行くしかない。ここから通うことの出来る学校なんてたかが知れていた。

「でもさ、大学だったら、戻ってくるかもしれないじゃん。省ちゃんや海(かい)兄みたいに」

菜名と桃の五つ上の兄である。本名は海里(かいり)。桃と同じように、頭が良くて何でも出来て、自慢の兄だった。桃と違うところは、優しくて寛大、誰にでも頼られていた。
海里は大学に進学して、この町を一度出て行った。今年、大手自動車メーカーの社員になって、この町の支店に配属され、戻ってきたのだ。
父親も母親も大喜びで、海里の帰還を盛大に祝っていた。その傍らで桃が黙々とご飯を食べていたことも覚えている。
桃の海里へのコンプレックスは、菜名にはわからなかった。
同じように育ってきたはずなのに、それを感じているのは桃だけだなんて、おかしい。
そんなことを思っても、結局桃は桃で、菜名は菜名でしかないのだった。決めるのは、自分自身なのだ。
今はまだそんなことは考えられないけれど。そのときが来たら納得してあげようと思う。
いつか離れ離れになる、そのときがまだ先であればいいなと思いながら、菜名は芽吹川を見ていた。

<了>

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