04 幼なじみ


芽吹の家から徒歩十五分、自転車で行けば五分かからないわけなのだが、一度自転車を盗まれてから新しく買っていないので、やはり家からは十五分。
そこに、芽吹の通う公立高校があった。
職人筋の家柄が多いこの界隈だから、進学校という訳ではない。学年に文系理系とひとクラスずつ進学クラスがある程度だ。
実家がお茶屋である芽吹も、将来進学するつもりは勿論なく、文系の就職クラスに所属している。
最高学年になったばかりのこの時期でも、二年からの持ち上がりなのでほとんど緊張感がない。三年間同じクラスの栗橋(くりはし)などは、「四組は不滅」なんて言っていた。
その四組に、今年から新顔が紛れ込んでいた。芽吹の席の真後ろで、その新顔はいつも眠そうにぼんやりと窓の外を眺めていた。
名前は、真鶴(まなづる)寿生(ひさお)という。
噂はまちまちだったが、留年したという話だけは、どうやら本当のようだった。

「おうおう、ちんたらしてるとなくなるよ、シャケフライ定食」

券売機の前で十円玉をつぎ込んでいるところに、栗橋がオレンジ色のトレイを持ってやって来た。トレイの上には、この春からの新メニュー、南蛮風からあげ定食が乗っていた。

「それも美味しそうだね」

「トレードすっか?」

お皿を覗き込んで芽吹が言うのにそう提案して、栗橋はにやりと笑った。最後の最後までシャケフライと南蛮風からあげの間で悩んでいた栗橋は、芽吹がシャケフライ定食を選ぶのを見て、しめた、と思った。
案の定、そこまでこだわりのない芽吹が「いいよ」と言ってきたので、栗橋は「交渉成立」と言って窓側の席を二人分ぶん取った。
芽吹はというと、そうやって混雑した中から栗橋が目ざとく席を確保してくれるので、おかずのトレードなど安いものだと思っていた。利害一致で損なしである。
食券を片手に、定食コーナーまで歩を進めると、食堂のおばちゃんが「牛丼終わりましたぁー」と大きな声で叫ぶ。シャケフライを逃さないために列に並ぶと、芽吹の前に真鶴が並んでいた。
あ、と思ったが、同じクラスになって一度も言葉を交わしたことがなかったので声がかけられなかった。
受け取り口の入り口にあるオレンジのトレイの山から、真鶴が一枚取るのを待ってから、芽吹も同じように手を伸ばす。手を伸ばした時ちょうど、食堂から出て行く男子集団にもまれて、トレイが音を立てて転がった。
慌ててしゃがむと、真鶴の新しい上履きが、くるりとこちらを向いた。

「大丈夫か」

顔を上げると、真鶴が芽吹のことを見下ろしていた。
笑ってもおらず、心配している風でもなく、あ、という表情。立ち上がってもなお見下ろされているような気がして、それでようやく背が高いのだと気付いた。
省助のしっかりとした体格とは違って、細かったのでわからなかった。

「新しいの使えよ。こっちは片付けとけ」

そう言って芽吹のトレイを奪って、真鶴は新しいトレイを差し出した。落としたものはさっさと片付けてしまう。

「あ、ありがとう」

「とろとろしてるとなくなるよ、シャケフライ」

新しいトレイを抱えた芽吹に、ほんの少し笑って真鶴が言う。
なんで、という顔をして真鶴を見上げていると、食券を差し出された。シャケフライ定食、三八〇円。

「一緒に落としたろ」

「え、あ、うそ」

慌ててポケットを探るが、食券は出てこない。掌を広げてみても出てきはしなかった。それもそうである。真鶴の持っている食券こそ芽吹の購入した食券なのだから。

「ごめん、ありがとう・・・」

自分のとろさに恥ずかしくなって、芽吹は視線を合わせられずに真鶴から食券を受け取った。
受け取ったところで、真鶴が声を上げて笑った。驚いて顔を上げると、口端からおもしれぇ、と漏らされてますます芽吹は恥ずかしくなった。
初めて会話というものをしたというのに、これでは不成立だ。
食堂の列が流れ始め、芽吹も少し前へ進んだ。

「芽吹、って、誰がつけたの?」

唐突に話しかけられて、咄嗟に返事が出来なかった。真鶴が振り返って答えを待っているので、その瞳を見つめながら、ぽかんと開けた口を動かした。

「父親・・・」

「粋な人だね」

言われて、実の父親の姿を脳裏に思い浮かべた。
家に帰ると靴下を放り投げて居間に寝転がる父親。母親に怒られつつも、酒が入ると飼い猫のナナオのひげを引っ張っていじめるのがやめられない。
どこにでもいる、どうしようもない親父代表だ。

「洒落だよ、こんな名前」

呆れて溜息をつくと、真鶴はまたおかしそうに笑った。それから、「その名前の由来、聞いてみたかったんだよね」と、物珍しげに芽吹を見つめる。
この学校で芽吹の名前ほど有名な名はない。川の名前を名に持ち、それもごく近隣の、歩いてすぐそこに流れている川だから、誰もが一発で覚えられる。
由来があるとするならば、その川自身が由来だろう。
ようやく順番が芽吹のところまで回ってきて、念願のシャケフライをトレイの上に乗せた。おせじにも、カリカリで香ばしそう、とはいえない代物ではあるが、学食のメニューなんてそんなものだ。
前にいた真鶴も、同じシャケフライをトレイに乗せていた。
小さな親近感が芽生えて顔を上げると、真鶴のしんとした、横顔が見えた。口を開きかけて、遮られる。

「芽吹」

声のした方を振り返ると、縁なしの眼鏡をかけた桃(もも)が片手を上げて近づいて来た。桃、はあだ名ではない。本名だ。
邪魔そうに、鼻の頭からずり落ちそうになった眼鏡を人差し指で上げて、カツカツと今にも聞こえてきそうな勢いで桃は歩いて来る。

「どうしたの、眼鏡」

いつもは眼鏡をかけていないことを知っていて、芽吹は尋ねた。レンズの向こう側から形のよい瞳が、不機嫌そうに俯いて視線を下げる。

「コンタクト、なくして。それより芽吹、英和辞書貸して。午後イチでリーディングなんだ」

「いいけど、これ食べるの待って」

ようやくゲットしたシャケフライに目を落としてから、芽吹は桃に言った。すると桃は、ちらりと芽吹越しに真鶴を見てかすかに眉根を寄せてから、「出直す」と踵を返した。
待っててくれてもいいのに、と思う反面、合理的な性格の桃であるから、ぼけっと芽吹が食事を終えるのを待つのが無駄だと判断したのもわかっていた。それに嫌悪感はない。
桃のきっぱりとした性格は昔から知っているし、そっけない部分にももう慣れた。
たいして気にもせずに、芽吹は桃の姿が消えるのを待たずにテラスに足を向けた。

「さっきの奴と、仲良いの?」

芽吹の隣に小走りで追いついた真鶴が、そんなことを聞いてきた。

「うん、幼なじみ」

「ふーん」

興味を示したのだろうか、と思ったが、存外そっけない反応だった。それでも真鶴は芽吹の答えに満足したようで、芽吹が一緒に食べるかと誘っても、「いや、いいよ」と笑顔を見せて去って行った。
テラスでは、日当たりのいい窓際を確保した栗橋が、シャケフライと騒いでいる。
振り返ると、真鶴のうしろ姿は学食の混雑に紛れて、もう見えなくなっていた。

<了>

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