02 人気者


春のいろどりを案内するのも、芽吹川下りの船頭の仕事のひとつ。そう言ったのは弥次郎師匠だっ たけれど、最近では省助の口癖にもなっている。
先日の川下りの時にカタクリ、イヌノフグリ、レンギョウ、とひとつひとつ芽吹の知らない花のこと まで説明してくれた。
本当は水との恐怖の戦いで、ちっとも頭に入っていなかったのだが。省助があまりにも一生懸命なの で、感心して聞いているようにみせる努力をした。
未だに、水は怖い。
あの時も、船を下りるときに省助に抱え上げてもらわなければならないほど、腰が抜けてしまっ ていた。ヒステリックに騒ぎ立てなかっただけまだマシだろう。
それでも省助が芽吹川で毎日船を渡しているので、学校帰りにはいつも芽吹川に寄ることにしている。

「あっ、俺これいいスか」

見たことのない茶髪が、省助の手の中を覗き込んでいた。手にはえんじ色の茶菓子箱。茶髪は中 から、芽吹川名物、よもぎもちを掴み出した。
別の船が出ているのか、弥次郎師匠は省助を隣に座らせて、お茶をすすっていた。師匠の手にも 、道明寺のピンク。

「芽吹ぃ」

芽吹に気付いた省助が大きく手を振った。弥次郎師匠も省助の声で顔を上げ、芽吹に笑顔を見せ る。友好的でないのは、何だこいつと言わんばかりの茶髪だけだ。

「お前もお茶してけよ。お客さんに貰ったんだ」

向けられた箱の中身には、よもぎもち、道明寺、豆大福が美味しそうに並んでいた。駅前の和菓 子屋「ささ一」の品である。この町では有名な名店だ。
省助は客と言ったが、そうでない可能性が高い。省助が船頭を始めてから、若い男が珍しいのか 、近所の主婦から激励の品を貰うことが増えていた。
それは昼食の差し入れだったり家で採れた野菜だったりするのだけれど、たまにこういった茶菓 子類も貰うこともある。
大雑把な性格の省助はそういった差し入れ主婦達もひと括りにお客と言うけれど、彼女たちが川 下りを頻繁にしているかというと、そうではないような気がした。
とにかく、省助はその持ち前の明るさと笑顔で、芽吹川下りの名物船頭になっていた。

「まあ座んなよ」

弥次郎師匠がパン、と自分の隣を手で叩いて芽吹を呼んだ。それから、茶髪に、「茶ぁ」とひと こと。
茶髪はよもぎもちを咥えたまま犬のように師匠に忠実に駆け出した。
遠慮しながらも、弥次郎師匠の誘いを断ることも出来ず、芽吹は隣に腰を下ろす。省助の箱から は省助と同じ豆大福を貰うことにした。

「学校帰りかい?いつもより遅いね」

「うん、今日は日直だったんだ」

言いながら、芽吹は休憩室に駆けて行った茶髪の姿を目で追った。窓ガラスの向こうでいそいそ と湯呑みを用意する姿が見えた。ついこの間までは省助の仕事のはずだった。

「弥次郎師匠、あの子、誰?」

尋ねると、道明寺を葉っぱごとかじっていた弥次郎師匠が口をもごもごさせながら答えてくれた。

「ああ、あいつぁ新入りだよ」

新入りは、お盆に四つ湯飲みを乗せて戻ってきた。
師匠、省助、それから芽吹にお茶を差し出して、最後に自分の場所についた。食べてしまったよ もぎもちを胃に流し込むように慌ててお茶を飲み下す。
よく焼けた肌に整った眉がりりしい。睨まれたら怖そうだ。

「禅、こっちは芽吹ちゃん、ここの馴染みだ」

弥次郎師匠があごで芽吹を指して、茶髪に紹介した。慌てて芽吹が頭を下げると、茶髪は勢いよ く立ち上がって、声を張り上げた。

「ジブン、八房(やつふさ)禅(ぜん)って言います。省助さんに憧れて師匠に弟子入りしまし たぁ。よろしくお願いしやあっす」

ぶん、と風を起こして頭を下げて、またぶん、と茶髪は身体を起こした。
呆気にとられて返事を忘れて、芽吹はああぁ、と曖昧な声しか出なかった。向かいで省助は腹を 抱えて笑っている。
禅の勢いに笑っているのか、芽吹の杜撰な対応に笑っているのかは判らない。
ちらり、と省助を睨むと、「さぁて」、と誤魔化すように腰を上げた。

「仕事仕事。先下りてます」

「あっ、自分も行きます!」

省助のあとを追いかけて、禅がばたばたと川瀬に下りて行った。二人の賑やかな話し声が聞こえ 、小さくなり、芽吹は豆大福と共に置いてきぼりをくらう。
隣でのんびりとお茶をすすっていた弥次郎師匠も、よっこらせ、と腰を上げた。師匠が湯呑みを 片付けようと休憩室に向かうと、慌ただしい足音が聞こえ、省助が舞い戻ってきて顔を出した。

「芽吹、終わんの待っててくれたら夕飯奢ってやるよ」

暗に待っていろと言っているのだろうか。芽吹の返事を待たずに、にんまりと笑って省助は再び 川瀬に駆け下りた。それに続いて、弥次郎師匠も「おい、省助」、とあとに続く。
なんすか、と、元気な声と共に、芽吹川にいっそう賑やかさが増す。しまいには近所の野良猫ま でもやって来て、省助の元へと駆け出した。
お前も行っちゃうのか、と芽吹の前を通り過ぎる、上機嫌な猫のしっぽを見送った。


<了>

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